きりゆー
男性生徒たつや
20代で結婚を諦めた理由は「工場勤務」
僕の名前は、「佐藤友哉」(仮名)
ブサイクで内気、結婚するのを諦めていた20代工場勤務男性だ。
まずは簡単に自己紹介をしたいと思う。
- 出身 山梨県甲府市
- 年齢 29歳
- 身長 170センチ
- 体重 59キロ
- 体型 普通
- 趣味 ドライブ、アニメ鑑賞
- 特技 とくになし
- 仕事 山梨県内の工場勤務
僕は、ブサイクだ。かっこよくない。学生時代も社会人になってもモテたことなんて一度たりともない。
人生の内にモテ期は3回くると聞く。
「嘘だ」
どんな奇跡が起きても、いじめられっ子として思春期を過ごしてきて、今もほとんど友達がいない僕にモテ期なんてこない。自分には何一つ魅力なんてないんだ。
どこの女性が僕なんかと付き合いたいと思うんだ。僕自身に魅力はないだけならまだいい。僕にはろくな収入すらないんだ。
「工場勤務」
これは僕にとっての数多くあるコンプレックスの中の一つだ。
20代の内に結婚したいとは思っていなかった。なので20代前半は出会いがない日々に特に焦りはなく、毎日やってくる日々を淡々と無心でやり過ごしていた。やり甲斐や楽しさなんて一ミリもなかった。
そんな僕は気づくと28歳になっていた。もう目の前に
30歳
という年齢が待ち受けていた。
あと2年で僕は20代ではなくなる。20代の内に結婚は早いと思っていたが、このままなんにも考えずに、行動もせず過ごしていたら、一瞬で20代は終了する。
20代の工場勤務男性が出会いを求めた訳
僕の父は、僕と同じ工場勤務だった。今は天国にいる。
「早くいい奥さんを捕まえろよ。お前は一人では生きていけないからな」
これは父があの世にいく前日に言った言葉だ。28歳の誕生日の夜、急にこの言葉を思い出した。なぜだかわからない。でも急にこの言葉が、脳裏をよぎり僕の冷静な思考とは裏腹に涙が溢れてきた。
「彼女が欲しい」
「出会いを探さないと」
「結婚して幸せになりたい」
決意を固めた。独身から卒業する。僕はこのままではいけない。
小さい頃からおっちょこちょいでよく怪我をした。いじめられるとすぐに泣いた。頭の回転も遅い、病弱ですぐに体調を崩す、自炊なんてしたことない。
僕は一人では生きていけない。
工場勤務のブサイク男性が男を磨く
翌日、28歳の第一日目。
僕は、出会いを得るためにネットで調べていると、「まずは自分を磨け、男磨だ!」という記事を見つけ、食い入るように読んだ。
男磨きをしてまず、魅了的な人間になろう!!顔は変えられない!
僕が行った男磨は、筋トレ、内面磨き、服装や持ち物をオシャレにすることだ。
《参考記事》



自分を磨いて、素敵な女性と出会ってみせると決断した僕の行動力はすごかった。自分でも驚くほどに力がみなぎり、街コンやマッチングアプリ、様々な手段を試していた。
(おそらく原動力はこのまま独り身でいることの恐怖だろう)
工場勤務で収入の少なかった僕はマッチングアプリで出会うという手段に落ち着いた。街コンはお金がかかり過ぎて、生活が厳しくなる。コスパを考えた結果たどりつた結果だった。
《参考記事》
マッチングアプリはコスパ最強!合コンや街コンと比較|出会いはコスパ重視
マッチングアプリ(タップル誕生)を使い始めて3ヶ月目のこと、アプリ内で出会った女性とカフェで会うことになった。
※この出会いをきっかけに付き合うことになるのだが、話が長くなるので割愛する。
付き合い始めて6ヶ月目、
僕の29歳の誕生日、
僕は彼女とレストランで食事をとっていた。
その時、僕は、、、、
今までの僕を恨んだ。
こんな幸せを、今まで知らずに生きていたなんて。馬鹿だ。早く気づくべきだったんだ。どんな人でも努力すれば、出会いはある。
自分で「出会わない」ということを選択していただけなんだ。
工場勤務の男性の出会いの結果は?
彼女の名字が佐藤に変わった。
結婚式の日、泣き虫の僕は絶対に泣かないと決めていた。父への感謝と、父の写真を持って参加する母親を目の当たりにして、片手で数えられるくらいの友人しか来ていない披露宴会場で僕は号泣した。
恥ずかしさなんてなかった。心がスキに泣いていいと言っていた。
「父さんありがとう。僕は幸せだ。父さんの言葉がなかったら、僕は幸せになることを放棄したまんまだった。」
「この幸せを味わい尽くすよ。」
きりゆー
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